Spiga

書く事なし

オフの一日も、「共有する人」「自発的な意志」がないと、受け身で過ごした一日となんら差異なく終わってしまう。いちにちの終わりに無理矢理、考察する事に没頭する為の議題も見つからず、このまま、思考が完全に退化し、自身の堕落している錯覚にさえ陥る。そんなネガを払拭すべく、なにかに打ち込もう!学ぼう!と思っても、素材が多過ぎて料理が出来ない。いま流行の「因数分解」を行って整理整頓を持ってして辿り着くが、合理的な自己が「何のため?」「それでどうなるの?」を問う。そうだ、いつも浅い思考プランを考えると、スタートからの道筋ばかりを考えてしまい、途方もないゴールを無駄と一方の自分が教えてくれる。というか、それで結論づけてしまうことで、せっかくのプランをとてもつまらないものにしてしまう。自己の完結であれば、誰も悲しまないのでご自由に。対人の場合は、その人をも不幸にしてしまう。ゴールのイメージを創造し、信ずる、決意する。そんな進め方を求む。ただしそれは対人の希望ではなく、対人と自己のシナジーであるべき。そんなことを思いながら改行のない旅は続く。

アウトプット新設

さて、みなさんもご存知の通り、わたくしは今年で30才になりました。30才になると、若い頃のツケが如実に表れてきます。そして、今後は更に己を苦しめる事となるのは明白だと考えます。そのツケの原因は”怠慢な人生”です。「その時の欲」でわたくしは今まで生きてきました。やっと、現実に目を向けた今日、怠慢を恥と感じ、禁欲を人並み、または美と感じる様になってきましたが、欲望の中を漂っていた人間にとっては、行動に移すのは至難の業。思い立つと、一歩一歩進む為の中期の目標を設定せず、どうしても華やかな目標を掲げてしまいます。たまには理由もなく、一切を遮断し欲望への誘いに身をまかせたり。そうして、怠慢へと還っていくのです。わかっていても。もうそうなると、自分の気持ち、欲望を強制制止する為の手段に出るしかありません。「このままいくと、いつかは・・」未来への恐怖、「こうしていると、こんな人に・・」勝手な見下しを植込み、強烈な劣等感を煽る。そこに信じる人の愛が加われば・・。なんて、自己を通常時ではなく、非常時に誘い込むしかありません。というか、今はこの手段しか知らず、実行出来ませんが、あらたな手段に着手してみたいと思い改行のない旅を続けます。